必殺博愛固め

日本語の練習

童心にかえりたい





夢中になれる何か(恋愛をのぞく)があることって、とても幸せなことだ。




やればやるほど楽しくて仕方がない、もっともっと学びたい、自発的にそんな風に思えるものはそうたくさんないはずだし、まして自分でそれが何なのか気づけない。





たまたま受験勉強に夢中になれたとすると、学校の勉強が楽しくて仕方がない。ずーっと教科書ノートとにらめっこ。

でもそんな人、現実にほぼいないでしょう。




だいたいみんな小さい時から親に、勉強が大事だ、大学に入れだのと言い聞かされて、何となく勉強に夢中になるふりをする。



夢中になってるふりをする!







そうやって勉強に没頭することを強要されて、他に本当に夢中になれるものがどんどん見えなくなってしまってる。

ただただ日々に流され、ぼーっと生きてるだけになってしまう。










仕事(お金をもらうこと)が夢中になれることかそうでないかで人生が大きく変わるにもかかわらず、大人たちは取り敢えず大学に入り、取り敢えず就職せよと言う。

社会に出て、社会のルールを学べという。




お金をもらう手段なんて、会社に勤める以外に腐るほどあるはずなのに。

生き方なんて、自分で作ればいいのに。







子供に辛い思いをして欲しくないとか、いい生活を送ってほしいとか、そういう気持ちがあるのは痛いほど分かるけれど、それは子供という他人の問題。

他人の問題を自分のそれと同一視をすることが、選択肢をごっそり削ってしまってるということになかなか気づけない。





かくいう私は宙ぶらりんの状態なので、あんまり偉そうなことは言えない立場だけれど…




でもこれだけは身をもって体感したから言えることだけれど、夢中になることの効用は、計り知れないパワーを生み出せること。

気づかないうちに驚くほど成長している自分を発見する。

失敗も、悔しい気持ちがかえって原動力になる。

人間関係に惑わされなくなる、小さなことで引きずられない。(優先すべきことがあるから)






仕事が、没頭するものでなく、夢中になれるものであることの意義は大きい。

楽しんでやってることがお金になるのだから。



そんな夢中になれるものを見つけてずーっと続けていけるということがこの上ない幸せなのではと。





もういい歳になってしまってからでは遅いかもしれないけれど、夢中になっていたかもしれないことを自分の中で発見していくのがこれからの人生を豊かにする一つの方法なのかも。