必殺博愛固め

日本語の練習

備忘録1


理不尽への耐性がなさすぎることが、とても生きづらい原因になっている。


信じてたものに裏切られる、

不可抗力を咎められる、

心ない言葉を浴びせられる、、、




そこに原因なんてそもそも存在しないのに、責任を感じて病んでしまったり自分を責めたりしてしまう。(悲劇のヒロイン的要素もなきにしもあらずだけれど。)

理不尽はどうしても精神的にくるものがある。



昔は、学校教育の場で理不尽にシバかれたり怒鳴られたりということが今よりもずっと多かった。

そのせいで、ある程度耐性がある人はいるそうな。



これは決して教育の現場での暴力や暴言を肯定する意味で言ってるんじゃない。

少しの暴力がトラウマにつながったり、小さなことでも一生にわたる傷になることもある。


ただ、そういう軍国主義的な理不尽さが、たまたま私が話を聞いた人にとっては耐性をつくるきっかけになったそう。


うーーん、、、



理不尽にあったとしても、そこに、理不尽という事実があるだけで、「まあそんなこともあるか」と軽く受け流せたらどんなに精神衛生上よいか…


なぜ?どうして?と考えてしまうことが、かえって自分を苦しめる。

理由のないことなのに、それを問うてもどうしようもない。




理由や根拠のないものに対する拒絶反応というか、元を探ろうとするクセがついてしまっているのが、理不尽耐性のなさの表れか。