必殺博愛固め

日本語の練習

「好き」を自覚すること


最近になって、やっと、自分が好きなこと、好きなものが分かってきた。

今までずっと、趣味もないし楽しみもない、と思ってきたけれど、改めて思い返してみると、案外夢中になれるものってあるもんだな。

自分の好きなものが分かる、って、当然のことと思う人がほとんどだろうと思うけれど、わたしにとって、自分の好きなものに気づく、っていうのは、結構画期的だった。
なんとなく引き寄せられるものはあったけれど、感じるのはその程度で、これが好き、と言い切れるものが分からない。

なんとなく、を、これが好き、に変えることで、時間の使い方がすごく変わった。
休みの日には、やりたいことが際限なく湧いてくる。
ああ、これがしあわせなんだなーと思える。








ものを作ったり、土を耕したり、わたしは何より歌を歌ったり聞いたりするのがすごく好きだ。

終末は、畑に行こうか、手芸をしようか、はたまた大好きなアーティストのライブに行こうか。
楽しみな予定ができると、平日もなんとか乗り切れる。

このために働いてるんだなーと実感するのも、またしあわせ。


しかしながら、どこかの誰かが気にくわないのか、わたしにとって、またとない楽しみが、全部仕事に押しのけられてしまう。

会社辞めそうだよ…

何のために働いてるのかわからなくなる。

やっと、自分の人生に華を添えようとしているのに、悉く希望をへし折られる。



生きるために働いているけれど、働いていることで生きる楽しみが消えるなら、仕事を消し去りたい。

今年に入って、たぶん今までの時間の中で一番強い気持ちを持って行きたかったライブが2本も潰されたのは、もはや自分のこれまでの行いとか周りへの接し方を改めることが求められてるのかな、と思ってしまった。

わたしの運がなさすぎるのか、好きを追求することすら何かに阻まれる辛さといったらこれほどまでか、と。

もはやこの理不尽はどう頑張っても変えようのないことだから、甘んじて受け入れる他ない。

好きを諦め飲み込んでばかりいたら、きっとどこかでキレてしまう。

好きを自覚することで、涙を飲む、、
非常に幸先がわるいけれど、自分の好きをもっと優先できるように、努力したい。