必殺博愛固め

日本語の練習

自分自身を引き合いに出す親



子供が悩みやわがままをありのまま親に打ち明けたとき、それを丸め込むために、自分の時代はこうだったとか、自分はもっとしんどかったとか言う親。

ほんとうに害しかない!!



子供よりも長く生きてきた(笑)親からすれば、子供にとって重大な悩みや苦しみは、ただのわがまま・我慢の出来なさだと捉えてしまいがちなのだろう。



しかし、そこに親自身の体験を引き合いに出し、あなた以上に自分はもっと辛い思いをした、などといわれましても…


ハア、そんなこと知ったこっちゃないわ!という感想しか出てきません。







親の辛かったエピソード子供に聞かせて何がしたい?


逆に子供に、辛かったねって共感してもらいたいの?


そんな話を聞いて、子供が、自分の環境はまだまだマシだな、とかいって反省して前向きになるとでも?


勘違いも甚だしい。




"親子"という絶対不変の関係性がある以上、子供は親の辛かったエピソードを聞かされて何を感じるかというと、自分の思いを無視されたということ、なおざりにされたということ、自分を受け入れてもらえないということなのだ。




子供は悩みを相談して親に甘えるどころか、親に甘えられてしまうのだ。

重荷でしかない……









しかも親自身がそういう辛かったことを話してる時点で、誰かに認めてもらいたいという気持ちが前面にでてしまっている。


自覚もないのがまたたちが悪い。







こういうタイプの親は、気の毒に、親自身も家族や両親に受け入れられず育っている。


ことあるごとに口出しされ、文句を言われ、やる事なす事反対され、そんな親子関係であったり、よくいう機能不全家族で育ったりした人間だといって間違いない。


そういう経験をして、自分はたくさん我慢してきたんだ、だから子供も我慢すべきだ、という調子で負の連鎖が受け継がれていく。




しかし、親自身はこういう負の連鎖を覚悟を持って断ち切らないといけない。

親は絶対的に子供を受け入れる必要がある。

それが無償の愛のかたちだから。





そもそも、親子とはいえ親の価値観や経験を子供が共有しているわけではないし、子供の価値観や経験を親が共有しているわけでもない。


親と子供という個人と個人がいるだけなのである。


子供に理想や自分自身を投影することは子供にとって百害あって一利なしだ。


そこを履き違えちゃいけない。





本来子供と対峙した親は、子供にとって絶対的な存在であると同時に、全てを許し認める地母神である。


それが子供にとって最高の環境なのだ。








おわり。